海洋冒険家

堀江謙一さんインタビュー
1962年、23歳の時に、小型ヨット「マー メイド号」に乗って世界初の太平洋単独無寄港横断(西宮-サンフランシスコ)を果たし世界中を驚かせた海洋冒険家・堀江謙一さん。その34年後の1996年に、ソーラーボート「MALT’Sマーメイド号」に乗って再び太平洋単独無寄港横断を成し遂げました。その出発地として選ばれたのがエクアドルでした。
翌年、エクアドル政府はその偉業を称え、堀江さんが通過したガラパゴス諸島の島と岬に、「モルツマーメイド島」、「ホリエ・ポイント」と命名しました。また出発地である港町サリーナスの灯台とガラパゴス諸島のホリエ・ポイントには記念プレートが設置されました。
当時、南米諸国の中で日本ともっとも縁のない国、と言われていたというエクアドル。堀江さんが一体どんなエクアドルに出会ったのか。2017年11月3日、堀江さんにお話を伺うべく、兵庫県・新西宮ヨットハーバーを訪ねました
インタビュアー:内田渥
文章書き起こし、撮影:宮浦歩美

内田
来年日本とエクアドルが国交100周年を迎えるにあたりまして、日本とエクアドルが具体的にどういう形で関わってきたかということを残しておきたい。それにあたってはエクアドルに関係した方にぜひ出ていただきたい。というのが今回の趣旨でございます。
堀江謙一さん(以下敬称略)
大仕事ですよね。笑
僕らもね、僕は高校のヨット部出身なんですがね、こないだヨット部ができて50周年か60周年の冊子を作ることになって、もうできたんですけどね、大仕事でした。古い写真とかね、色々出してくるのに。僕らのヨット部ができたのは、1948年なんですよ。戦後すぐですね。まぁその頃からもいろんなことやってこないとね、その頃の人もいなくなりますからね。
ヨット部ですからキャプテンがいてるわけですよ。伝説的な人なんですよ。でも初代のキャプテンってどんな人か誰も知らんもん。やっぱりその周りの人がいてる間にちょっとでも知らせとかないとね。
内田
そうですよね。堀江さんみたいにこうやって大変有名になって、その度ごとに本に残されていれば後の人はこれ楽ですよね。
堀江
やっぱりね、本をやってるといいですよね。僕は本番だけなんですけどね。(笑)
―「エクアドルいう国は僕ら日本とは感覚が違いますよね。地名に名前をつけてくれたりね。(笑)」
内田
今日はいくつかお話を伺いたいなと思います。
まずサリーナスの灯台と、ガラパゴスのどこかにホリエポイントとして貼ったプレートについてなんですが・・・。
堀江
なんか貼ってるはずなんです。貼ったんですけれども字が見えなくなったんですよ。100年持つとか言うてたのに実際は持たなかってね。それでまた作り直してもらって、それをまた送ったんです。
それからね、海図に名前が出てるとかあるでしょう。向こうからもらって日本に送ってくれたかなんかです。そんなのもあるんですよね。エクアドルいう国は僕ら日本とは感覚が違いますよね。地名に名前をつけてくれたりね。(笑)

インタビュアー:内田渥
文章書き起こし、撮影:宮浦歩美
内田
来年日本とエクアドルが国交100周年を迎えるにあたりまして、日本とエクアドルが具体的にどういう形で関わってきたかということを残しておきたい。それにあたってはエクアドルに関係した方にぜひ出ていただきたい。というのが今回の趣旨でございます。
堀江謙一さん(以下敬称略)
大仕事ですよね。笑
僕らもね、僕は高校のヨット部出身なんですがね、こないだヨット部ができて50周年か60周年の冊子を作ることになって、もうできたんですけどね、大仕事でした。古い写真とかね、色々出してくるのに。僕らのヨット部ができたのは、1948年なんですよ。戦後すぐですね。まぁその頃からもいろんなことやってこないとね、その頃の人もいなくなりますからね。
ヨット部ですからキャプテンがいてるわけですよ。伝説的な人なんですよ。でも初代のキャプテンってどんな人か誰も知らんもん。やっぱりその周りの人がいてる間にちょっとでも知らせとかないとね。
内田
そうですよね。堀江さんみたいにこうやって大変有名になって、その度ごとに本に残されていれば後の人はこれ楽ですよね。
堀江
やっぱりね、本をやってるといいですよね。僕は本番だけなんですけどね。(笑)
―「エクアドルいう国は僕ら日本とは感覚が違いますよね。地名に名前をつけてくれたりね。(笑)」
内田
今日はいくつかお話を伺いたいなと思います。
まずサリーナスの灯台と、ガラパゴスのどこかにホリエポイントとして貼ったプレートについてなんですが・・・。
堀江
なんか貼ってるはずなんです。貼ったんですけれども字が見えなくなったんですよ。100年持つとか言うてたのに実際は持たなかってね。それでまた作り直してもらって、それをまた送ったんです。
それからね、海図に名前が出てるとかあるでしょう。向こうからもらって日本に送ってくれたかなんかです。そんなのもあるんですよね。エクアドルいう国は僕ら日本とは感覚が違いますよね。地名に名前をつけてくれたりね。(笑)

―「成功が約束されてないわけですよね。僕はでももう約束されてると思ってるんです。」
内田
「成功が確かではないことをやるのが冒険なんだ」という言葉がこの本に出ていますよね。
堀江
それはねエクアドルに行った時に日系人のパーティーで会った人がそう言ったんですよ。あぁなるほど、うまいこと言うなぁ思ってね。それのパクリですね。(笑)
約束されてないわけですよね。僕はでももう約束されてると思ってるんですよ。
なんでも人間謙虚にいかなきゃいけないんですけど、僕はそういうのはうぬぼれていますのでね、謙虚でないのでね。でもそういうふうに言われればその通りですよね。約束されてないことをするわけです。こういうこと言われたんですね。冒険するのは少年の気持ちです、と。しかしやるためには、大人の知恵がいりますと。
内田
だから十分に用意と準備をなさっているということですよね。
堀江
まぁまぁちょっといい加減なところはあるんですけどね。(笑)
でも十分にって言ったってね、わからないことってありますよね。だけどきっと強運持ってるんだと信じてね。成功が約束されてないことをするわけですから。でもなんでもそれは言えると思いますけどね。そんなことない?なんでも言えますよね。ただ僕の場合は最初の航海なんかでも、まぁ結構無鉄砲ですよね。パッと行ってしまうところなんかはね。でも死刑にはならないだろうと思ってましたしね。別に捕まったって何したってどうってことないと思ってました。ましてやアメリカですからね。しばいたりもしないだろうし。(笑)望んでるわけではないですけどね。
内田
堀江さん、80歳まで現役でおやりになると。
堀江
違います。100歳までです。
内田
そうですか!最初80歳までは現役でって言ってたものがどうして100歳になったんですかということをお聞きしたかったんです。
堀江
いやそうじゃなくって僕は初めから100歳って言ってるつもりなんです。最初から三桁言うてるんですよ。
内田
今でも乗ってどこかに行かれるんですか?
堀江
はい。遠くは行かないですけどね。ただまぁ一人ではあんまり行ってないですね。友達なんかとね。この前も韓国が見えるところまで行ってきましてね。対馬いう島があって、それは韓国から50キロくらいのところにあるんですけどね。天気が良ければそこから韓国が見えてね、車の走ってるのも見えますよ。
あとは屋久島とかね、種子島にロケット見に行ったりとか。もう最近は近くばっかり行ってますけども。エクアドルもいいですけど、ちょっと遠いねぇ。
内田
それでさっきも階段をざぁーと登って来られたり、まだご自分で体を鍛えられているんですか?
堀江
いや、鍛えてるわけじゃないけど、まぁめんどくさいから走ってくるわけだけど。
内田
やっぱりお元気ですよね。

―「何もかもが、ひとつの目標があると楽しいですよね。」
内田
最後に、航海を達成するっていうこともすごく嬉しいけども、その過程、準備をする、朝起きて今日もこれに向かって頑張っていくっていうのはやっぱり一番人間としてハッピーじゃないのということを仰っておりますよね。
堀江
計画の段階からそれはずっとありますね。例えばそれこそ朝、新聞見てね、あっこんなラーメンあるんだな、今回使えそうだな、とかね。こんなカメラがあるんならこれはいけそうだな、とかね。何もかもがやっぱりひとつの目標があると楽しいですよね。ご飯食べてもね、これは持っていけるなと、色々そういうところがあって。だから目標を設定しているのは楽しいですよね。
内田
今の目標は何ですか?
堀江
あるんですけどね、色々。それは100歳までですからね。(笑)
でもまぁ実際ね、何歳までやれるかなんてやってみないと分かりませんけど。まぁ気持ちの上ではあれとあれは押さえておきたいなとかね、やっておきたいなとかいうのがあるんですよ。人生一回きりですからね。
内田
差し支えなければ一つ、二つ教えていただけませんか?
堀江
それがね言えない問題が色々ね。まぁ失礼なあれですけどね、僕のプロフィール見てたらこうあるわけですよ、いくつかこう、色々と。それを見ていけばね、次はこれだってのが。もし僕が次それをやれば、あぁなるほどと思われるはずですよ。流れがありますから、やっぱり。流れがね。ごめんなさい。
内田
なるほど(笑)また次なるサプライズを楽しみにしています。
本日は本当に大変貴重なお話をどうもありがとうございました。
堀江
お安い御用で。
帰りのタクシーを待つ私たちを、堀江さんはヨットハーバーの入り口まで見送ってくださいました。入り口には、2004年から2005年にかけて成し遂げた、単独無寄港世界一周航海の時の「サントリーマーメイド号」が展示されており訪問者を迎えます。
「この時は世界一周、ノンストップです。出発も目的地も同じだから行かなくても同じじゃないかって言われました。」と笑いながら話してくださいました。
タクシーに乗り込み、「シークレットの次の計画、お待ちしております!」と別れを告げると、にっこり笑って手をあげて答えてくれました。
まだまだ続く堀江謙一の冒険譚。次なる大冒険の始まりが楽しみです。


今回の取材で参考にしたエクアドルからの航海の様子が綴られている著書:
太陽に賭ける「太平洋ひとりぼっち」、ふたたび / 発行 株式会社ベネッセコーポレーション、1997年